パテントコラム

2026年8月

【Topic.1】判例紹介:同じ引用文献なら同じ拒絶理由?

拒絶査定不服審判において、拒絶査定と審決とで同じ引用文献の同じ実施例に基づいて請求項1の新規性が否定されたものの、本願の「吸収剤」に対する引用文献の当てはめが同じ実施例の中で変わったことから、改めて拒絶理由を通知すべきであったとして審決が取り消された事例を、なるべく簡潔に紹介いたします。
本件の事件番号は、知的財産高等裁判所令和7年(行ケ)第10081号であり、判決は令和8年7月8日に言い渡されています。対象となった出願は、発明の名称を「二酸化炭素を電気化学還元する方法」とする特願2020-546445です。

≪本件発明≫
本件発明は、二酸化炭素を電気化学的に還元して、ギ酸等の二酸化炭素還元生成物を得る方法に関するものです。
本願では、二酸化炭素を含むガス流を吸収剤と接触させることにより、二酸化炭素を吸収した「二酸化炭素が豊富な吸収剤」を形成し、この吸収剤を電気化学セルの陰極区画に導入します。そして、吸収剤中の二酸化炭素を陰極で電気化学的に還元し、その場で還元生成物を抽出します。
本願明細書では、従来、二酸化炭素を吸収剤に取り込んだ後、吸収剤を加熱して二酸化炭素を放出させ、さらに電解質に溶解させてから電気化学還元する工程が必要であったのに対し、本願では、二酸化炭素の捕捉と電気化学還元とを同じ流動性媒体を用いて行うことができる点が特徴の一つとされています。

≪審査・審判の経緯≫
本願に対する最初の拒絶理由通知では、中国特許出願公開第102240497号明細書(以下「引用文献1」といいます。)が引用されました。
ここで、引用文献1の実施例2の工程を先に簡単に確認しておきます。実施例2では、排ガス中の二酸化炭素を炭酸ナトリウム溶液に吸収させた後、吸収液を加熱して二酸化炭素を脱着し、その二酸化炭素を、今度はギ酸およびギ酸ナトリウムを含む混合溶液に供給して、この気液混合液を陰極室に導入します。このように、同じ実施例2には、排ガスから二酸化炭素を吸収する炭酸ナトリウム溶液と、脱着後の二酸化炭素を受け入れて陰極室へ送るギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液という、役割の異なる二つの液体が登場します。
最初の拒絶理由通知では、前者の炭酸ナトリウム溶液が本願の「吸収剤」に相当すると認定されていました。出願人はその後、陰極液に関する限定を請求項1に追加して反論しましたが、拒絶査定ではその主張は採用されませんでした。
そこで出願人は拒絶査定不服審判を請求し、請求項1に、二酸化炭素を含むガス流を吸収剤と接触させて「二酸化炭素が豊富な吸収剤」を形成する工程を追加しました。
審判請求書では、引用文献1では、排ガスから二酸化炭素を吸収剤に吸収させた後、その吸収剤を加熱して二酸化炭素を脱着し、その二酸化炭素を別の陰極液と混合して電気化学セルへ導入しているのに対し、本願では、二酸化炭素が吸収剤に吸収された状態で陰極区画に導入される点が異なると主張しました。
ところが、前置報告書では、今度は後者のギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液が本願の「吸収剤」に相当するとされました。すなわち、二酸化炭素ガスをこの混合溶液に飽和させる際に、二酸化炭素が混合溶液に「吸収」されると認定したものです。
つまり、拒絶査定までは「吸収剤=炭酸ナトリウム溶液」であったものが、前置報告書以降は「吸収剤=ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液」へと変わったことになります。
その後、出願人は上申書を提出して反論するとともに、必要であれば二酸化炭素を含むガス流中の二酸化炭素濃度を限定する補正案も示しました。
しかし、審決では、前置報告書と同様に、ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液が本願の「吸収剤」に相当し、この混合溶液に二酸化炭素ガスを飽和させて得られる気液混合液が「二酸化炭素が豊富な吸収剤」に相当すると認定されました。
その結果、審判請求時の補正は独立特許要件を満たさないとして却下され、補正前の請求項1についても新規性がないとして、審判請求は成り立たないとの審決がされました。

≪争点の概要≫
本件の争点は、拒絶査定と審決とで同じ引用文献1の同じ実施例2が用いられていても、このように本願の「吸収剤」に対応付ける引用発明の構成が変更された場合に、「査定の理由と異なる拒絶の理由」に当たり、改めて拒絶理由を通知する必要があるかという点です。
原告は、引用発明の構成認定が実質的に変更されていると主張し、特許庁は、拒絶査定も審決も同じ実施例2に基づいて請求項1の新規性を否定したものである以上、拒絶理由は同じであると反論しました。

≪本件判決の要点≫
知財高裁は、炭酸ナトリウム溶液とギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液とは、引用文献1において「全く異なるプロセス及び目的」で使用されており、同一のプロセスで用いられる代替品や同等物といった関係にはないとしました。
そのうえで、拒絶査定と審決とは、本願の「吸収剤」として異なる物質を認定したものであり、ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液を「吸収剤」と認定して本願を拒絶することは、出願人に対する「不意打ち」となるとしました。
そして、これは特許法159条2項にいう「査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合」に当たり、同項により準用される同法50条に基づき、新たな拒絶理由を通知して意見書の提出および補正の機会を与える必要があると判断しました。さらに、このような機会を与えなかったという手続違背は、その性質上、審決の結論に影響を及ぼすものとして、審決を取り消しました。
特許庁は、同じ実施例2を引用している以上、同じ発明を引用発明として判断したものであると主張しましたが、裁判所は、実施例は同じであっても、「吸収剤」に相当するものが異なれば発明の構成が異なるため、同じ発明を引用発明として判断したとはいえないとしました。
また、特許庁は、拒絶理由通知の記載から、ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液が「吸収剤」に相当し得ることを出願人は理解できたはずであるとも主張しました。しかし裁判所は、拒絶理由通知からは炭酸ナトリウム溶液等が「吸収剤」に相当すると理解するのが自然であり、ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液が二酸化炭素の吸収剤として一般的であるとの技術常識を認める証拠もないことから、そのような認定を予期できなかったとしても無理はないとしました。
なお、裁判所は、手続違背を理由に審決を取り消し、ギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液が本願の「吸収剤」に相当するかという実体的な争点については判断しませんでした。

≪若干のコメント≫
本件で興味深いのは、拒絶査定と審決とで、引用文献も実施例も同じであったにもかかわらず、引用発明の構成の認定が変わったことにより、「査定の理由と異なる拒絶の理由」に当たると判断された点です。
もっとも、本判決は、同じ引用文献について少しでも当てはめが変われば、常に新たな拒絶理由の通知が必要であるとしたものではないと考えられます。本件では、炭酸ナトリウム溶液とギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液とが、引用文献1において全く異なるプロセスおよび目的で使用され、代替関係にもないことが重視されています。したがって、引用発明のどの構成を請求項の構成要件に対応付けるかが実質的に変更された場合に、出願人に新たな反論・補正の機会を保障する必要がある、という判決として理解するのがよさそうです。
また、本件では、出願人は前置報告書によって新たな当てはめを知り、その後、上申書を提出して反論していましたが、審判官は、上申書に対して特段の応答をせず、そのまま審決をしました。裁判所は、上申書による反論の機会があったとしても、正式な拒絶理由通知を行い、意見書の提出および補正の機会を与える必要があったと判断しています。実際に反論の機会があったかどうかだけでなく、法律上予定された手続によって補正の機会まで保障されていたかが重視された点も、実務上注目されます。
もう一つ、実務的には、拒絶理由通知における審査官の引用文献の要約をそのまま前提とするのではなく、引用文献そのものを読み、そこで各構成がどのような工程および目的で用いられているかを確認することの重要性も感じられます。本件では、引用文献1の実施例2を工程全体として見れば、排ガスから二酸化炭素を吸収する炭酸ナトリウム溶液と、脱着された二酸化炭素ガスを受け入れて陰極室へ導入されるギ酸・ギ酸ナトリウム混合溶液とは、異なる役割を担っていました。
なお、対応米国出願では、日本の審査経緯とは異なり、引用文献1を主引例とはしていませんが、同文献について、二酸化炭素を吸収液に吸収させた後、その吸収液を加熱して二酸化炭素を脱着し、その二酸化炭素を膜電解に用いる技術であるとの認定がされており、同じ引用文献の読み方という点でも興味深い対比です。